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未来に継承する、進取の精神~次の100年を築く、新たな挑戦へ~

1924年9月、初代院長・伊藤郡二が開業した岩田医院を起源とする社会医療法人大雄会は、愛知県一宮市で歴史を重ね、現在では医療・介護サービスを通して地域の暮らしに安心を届けています。
2024年に100周年という大きな節目を迎え、永きにわたる歴史を振り返ったとき、「大雄会」が果たしてきた役割とは何だったのか、そして、次の100年を見据えたとき、どのような挑戦を通して新たな地平を切り拓いていくのか、フリーアナウンサーの高井一氏が大雄会理事長の伊藤伸一氏にお話をお聞きしました。

100年変わらず貫いた「進取の精神」

高井 100周年おめでとうございます。改めて大雄会の沿革をたどってみると、国内初、国内でいち早くといった言葉が目につきますね。

伊藤 大雄会のルーツとなる岩田医院を開業した祖父の伊藤郡二は探究心旺盛な人で、1929年に島津製作所が開発した国産レントゲン「比叡号」第一号機を導入しています。私は小さな診療所が導入したことに半信半疑だったのですが、同社に残っていた販売記録で事実を確認し驚きました。
当時、肺結核は診断が遅れれば命を落とす大病でしたから、診断の決め手となる医療機器の導入は画期的だったと思います。「正しい診断のもと医療を行う」という祖父の信念が、国産レントゲン「比叡号」第一号機導入というエポックにつながったのでしょう。

高井 戦後はコバルト治療にもいち早く着手されていますね。

伊藤 現代医学でいう「放射線治療」です。1962年には「伊藤放射線科病院」へ改称し、胃腸科、外科、内科の診療科目も掲げ今日に続く総合病院への一歩を踏み出しました。

高井 理事長は三代目となるわけですが、やはり放射線治療の可能性に着目されていたのですか。

伊藤 私が医学を学んでいた頃、ちょうどCTが医療現場に登場し、背中に針を刺してせき髄液を抜くという侵襲の大きい脳出血の検査が、CTでは寝ている患者さんを撮影するだけで診断がつくようになりました。これに加え、血管の中にカテーテルを入れて治療するIVR(血管内治療)という治療法も始まりました。

   診断とともに治療における放射線の可能性を目の当たりにしたことで、愛知医科大学を卒業後、治療的な放射線手技を積極的に進めている奈良県立医科大学に進み、大学院で博士号を取得した後、大雄会に入職したわけです。

高井 医療機器の進歩が診断・治療の進歩につながることを実感されたわけですね。

伊藤 大雄会でしばらく医師としての経験を積んだ後、副理事長、理事長へと重責を担うことになりました。初めて経験する経営の重みを感じながらも先代たちの信念であった「進取の精神」を貫き、怯むことなく先進の医療機器を導入してきたつもりです。
医療に画期的な変革をもたらしたMRI(磁気共鳴画像診断装置)も日本で6番目に導入し、診断の精度向上に貢献しています。MRIの導入にあたっては当院で100%活用するため、自ら世界各国の病院視察に赴きアメリカの病院で研修も受けています。

高井 まさに国産レントゲン「比叡号」第一号機を導入された創立者の熱意と同じですね。

がんの診断・治療にも先進的な医療を導入

伊藤 その後もPET、IMRTなど主にがんの診断・治療に用いる先進機器を次々と導入しています。

高井 どのような機器なのですか。

伊藤 PETは主にがんの有無や広がり、転移などを調べる機器で、CT検査と組み合わせたPET-CT検査により一部のがんを除いて1度に複数の微小ながんを発見できます。
IMRTは強度変調放射線治療というがんの放射線治療技術ですが、がんに対して集中的に放射線を照射でき、いびつな形のがんでも形に合わせることができるため、他の臓器への影響を最小限に抑えることが可能です。
近年、がん治療は「集学的治療」といって、いくつもの治療法を組み合わせることでより高い効果が期待できるようになりました。大雄会では注目度が高まっている「温熱療法(ハイパーサーミア)」とIMRTを組み合わせた先進的な治療も行っています。

高井 現在、日本では国民の2人に1人が生涯に1度はがんにかかり、3人に1人ががんで亡くなるといわれています。しかし、一方で早期に発見し、適切な治療を受けることができれば、治る可能性が高まっていると聞きます。こうした先進の医療機器を導入し効果の高い治療に取り組んでいる医療機関が身近にあることは、地域の人にとって大きな安心といえますね。

伊藤 健康増進を心がける一次予防に加え、早期発見・早期治療で重篤化を防ぐ二次予防は非常に重要です。大雄会では健診センターを通して地域の皆さまの病気予防や早期発見につなげ、病気が見つかった時は各診療科と連携しスムーズな治療につなげています。
近年は女性の不調に特化した「女性外来」を設け、女性の健康をサポートする取り組みも進めています。

高井 「がん」という国民病への対応、女性活躍時代にふさわしい医療面での女性のサポートなど、常に時代のニーズを捉えた医療を提供されているのも「進取の精神」によるものといえますね。
近年は医療従事者の働き方改革に注目が集まっていますが、人材育成についてはいかがですか。

地域医療を支える大雄会の使命

伊藤 私の父はすでに1990年代に看護師の働き方改革に取り組んだ実績があります。医療は365日24時間途切れることなく提供できる体制が求められる特異な業種です。その最前線で働く看護師は、かつて三交代制というシフトが強いられていましたが、看護師の負担軽減を目的に二交代制というシフトを国に提言し、以来多くの病院で二交代制の採用に至っています。

高井 医療の現場を熟知したお父様だからこそできた改革といえますね。

伊藤 看護師が医療の質を左右すると言い切っていた父の言葉どおり、大雄会では1970年代に看護専門学校を設立し、私の時代に看護短期大学に切り替え、さらに看護大学としました。

   今後は博士課程を開設し、費用は大雄会が負担するつもりです。高度な知識・技能を持った看護師の育成もまた、100年の歴史の中で揺るぎない大雄会の使命と思います。

高井 がん治療、健診事業に看護師の育成と、地域医療を支える頼もしい砦ですね。

伊藤 大雄会といえば急性期医療、三次救急というイメージが地域に定着していますが、常に地域の皆さまの健康を守るために何が必要かを見据えたうえで、最善となる取り組みをいち早く進めているつもりです。

高井 地域の医療ニーズといえば、がんとともに認知症のような高齢者の疾患も心配ですが、今後、大雄会はどんな医療に取り組んでいかれるのでしょう。

地域医療の未来を見据え次の100年に挑む

伊藤 ご指摘のように、日本は世界に例のないスピードで高齢化が進んでおり、10年後には85歳の高齢者が1000万人を超えます。その半分以上が認知症をはじめとする要介護者となり、多くが老老介護や独居老人となることが想定できます。そのとき求められる医療のあり方がドラスティックに変わることは間違いありません。

高井 大雄会の象徴のような救命救急センターやヘリポートは必要なくなるのですか。

伊藤 急性期医療が不要になることは絶対にありませんが、高齢者の急性期疾患は肺炎や感染症、骨折が中心ですから、早く自宅に帰れるような支援が必要になります。
現在、大雄会には「総合大雄会病院」「大雄会第一病院」「大雄会クリニック」という複数の医療機関がありますが、社会の変化に対応できるよう、今まさに医療の機能を再編し、より効率的に運用できる医療環境の整備に取り組んでいるところです。

高井 どのように再編されているのですか。

伊藤 総合大雄会病院は「高度急性期」「急性期」に特化し、大雄会第一病院は「亜急性期」「回復期」に特化させます。これにより、急性期治療を終えても自宅に帰れない高齢の患者さんは、大雄会第一病院で経過を観察し、退院調整をすることができます。

高井 患者さんの状態に応じて同じ病院グループ内で病院間の連携ができれば、これほど安心なことはありませんね。

伊藤 急性期病院からいきなり自宅や施設というのは一足飛びすぎるので、飛行機の乗り継ぎのトランジットのように移行期を支援する病院がこれからは重要になってきます。今回の機能再編はそのためのものです。

高井 100周年を迎え、次の100年は順風満帆な航路と思っていましたが、これだけ社会が大きく変わるとそうもいえないようですね。

伊藤 むしろ、荒波の中を海図もなく航海するようなものですが、決してやみくもに突き進むのではなく、地域の皆さまのために今何ができるかを考え続けることで、自ずと道は定まると思っています。その道を拓くのが、100年の歴史の中で培われた「進取の精神」だと思っています。

高井 本日のお話で理事長の中に創立者から継承した「進取の精神」が確かに宿っていることを確信しました。次の100年も職員の皆さま、地域の医療従事者の皆さまと思いを一つにし、地域医療の安心・安全を守り続けていただきたいと思います。
本日はありがとうございました。

企画・制作/中日新聞メディアビジネス局 2025年1月18日中日新聞(尾張版)朝刊掲載
※肩書は取材当時のものです。

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